先日、ある人に、この辺の名物桜を尋ねたところ、以前なら、向阪本の山桜が立派で見応えがあったとのことでした。 あまり大きくなると枝の間が広がるのと、山桜は葉が先に出るので、樹齢とともにまばらな感じで迫力が無くなります。 この桜、写真のように、周りの木も邪魔して、見上げないと、案外、気付かない存在。 場所は政吉さんのお墓がある広場の少し先のところ。 その根元近くにあるのが~ 何かを祀っているのは知っていたのですが、それが何なのか深く考えませんでした。 この山桜の存在を教えていただいた時、この祀られているのが「庚申さん」だと教えていただきました。 「庚申猿」とか聞いたことはあるのですが、「庚申さん」についてあまり知りません、皆さ~ん、詳しくご存知ですか~? 久し振りに真面目にお勉強! 「庚申」とは「コウシン」とか「カノエザル」と呼ばれ、干支のひとつです。 「干支(えと、かんし)」とは方位・時間・暦などに関する数値的なもので、「十干(じっかん)」と「十二支」の組み合わせで、60の組み合わせがあります。 現在、「干支」と言えば、「十二支」のことを指すものだと思われていますが、これは、「干支」の数値が使われなくなった現在でも、年賀状などで「十二支」の動物などが使われている為、「十干」は忘れ去られても、「十二支」だけが生き残っているからです。 この表はインターネットから無断拝借したもの。 中国殷の時代、太陽が10個あると言われ、それぞれの太陽に名前を付けたのが「十干」だとか言われています。 その太陽は毎日交代で上がり、十日で一巡すると考えられていました。 十日で一巡することを「旬」といい、上旬・中旬・下旬はここから由来しています。 ある時、10個の太陽が一度に出、草木が燃えるほど熱くなった為、弓の巧者に命じ、九つの太陽を打ち落とし、現在の1個になったとか~! この「十干」と「十二支」の組み合わせ60が一巡することを暦が還るといい、これが、60歳のことを「還暦」という所以です! 前置きが長くなりましたが、「庚申」が干支のひとつであるのと、干支とはどんなものか、何となく分かっていただけましたか? 次に疑問が湧いてくるのが、干支のひとつの「庚申」がなぜ祀られるのかということ! 60日に一度巡ってくる庚申の夜、人間の体の中に居るといわれる「三尺(さんし)の虫」が寝ている間に体から抜け出し、宇宙を支配すると言われる天帝に、その人間の行った愚行を告げ口に行くと言われています。 天帝は寿命を司る神であり、悪いことをした人に罰として、寿命を縮めるそうです。 この三尺の虫、実は、人間が寝ている間にしか抜け出せないので、この日は寝ないようにしようということが行われるようになりました。 この寝ないようにすることを「守庚申(しゅこうしん)」と呼び、後に、「庚申待(こうしんまち)」と呼ぶようになりました。 「庚申祭」あるいは「庚申を守る」が訛って「待」になったとか言われています。 庚申の夜には、寝ないようにする為、お勤めをしたり、宴を開いたりして過ごすのですが、でも、絶対してはいけない事があります。 皆さんは既に卒業されているかもしれませんが、この夜、男女同床せぬとか、結婚を禁ずると言われています。 万が一、この日に結ばれて出来た子供は盗人の性格を持つとのこと。 庚申さんには何が祀られているのか? 上の写真の洞窟のようなところの奥に何があるのか、先日、覗いてきました。 右の写真がそれなんですが、あまり見掛けない像が彫られています。 このお姿こそが「庚申さん」といいますか、庚申の本尊で「青面金剛(しょうめんこんごう)」と呼ばれています。 名前の通り、本来はお顔が青い色で塗られていたようです。 一身四手のお姿をしているのが多く、三尺の虫を抑えていただける神さんです。 「申」の訓読みは「さる」。 猿は庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿(さんざる・さんえん)が彫られているのが多いそうです。 左の写真は、ネットで紹介されていた青面金剛。 足元には三猿が並んでいます。 向阪本の青面金剛の足元にも何か彫られたような感じがしますが、風化が進み、ハッキリ分かりません。 阪本には、この向阪本以外に「庚申さん」が祀られているところが、私の身近にありました。 阪本市場にある交番の前の岩本さんのお庭に祀られています。 元々は、現在の上谷の下の方の岩壁に祀られていたのを、水没を避け、家内安全の為、移設されました。 この庚申さんの足元をよく見ると、三猿が鎮座しているように見えてしまいます。 更にその下「中村」という字が見えますが、阪本で中村といえば政吉踊りの「中村政吉」さんなのか、詳細は不明。
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